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君じゃない誰かに恋できたら
苦しくないのかなあ、って
いつも思うよ
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他人の正義なんて、戦いの種になるばかりだろうけれど
でも自分の正義も持たずに生きていくなんて、
そんなんじゃだめだと思うんだ
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何を考えているかわからないらしい
そういえば、僕らはそんなに分かりあっている関係ではない。
逆に考えてみて、何を考えているかわかる人はいるか、と問うたときに
私には数人の友人たちが苦もなく思い浮かぶ。
同じものを見て、どう思うか
この言葉を、どう捉えるか
その感情に、いつまで囚われるか
わかっているかなんて、確かめようはないけれど
でも、わかるんだよ。
ふたりで感情を表す言葉を探すときもある。
目線だけで、共感できる。
ずっと、ふたりでひとつの心でいられると思っていて、思っていない。
鏡の向こう側
君のことはまるでわかっていて、
触れようとすると、自分に触れる
だから、君とは違う生き物だっておもう
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会ってても回復はしなくて、
単に悪化しないだけ
別れたとたんにまた下降するから、
こじれるんだろうな
夕暮れ生徒会室
先日、高校時代の友人たちに会って、飲むでもなくだらだらとしゃべり続けた。あのときみたいだなって、今ふりかえってみて思う。
あのときみたいなんだけど、それぞれ、成長しているところがあって。相変わらずのいいところがあって。
彼らは優しいなと思う。
話に出てくる人たちが、だめだめな人で、それを笑うような会話であっても、飽くまでも慈しみというか、親しみのようなものがあって
「あいつはほんとにだめだなー」
っていう言葉が、優しい。中学まで、と大学で出会った人たちにはそういう言葉にトゲがあって、久しぶりに「他人を貶める笑い」に遭遇したときは心に刺さった。
あと、きちんと労働をすることの大切さとかを基盤にしているところが、安心できる。働きたくないな、っていう人の気持ちも分かってきたけれど、大卒の人から聞くその言葉とは意味が違う。労働を身体にしみこませて、仕事を楽しみながら成長しながら、何かを守っている。なんなんだろう、守っている物は人それぞれなんだろうけど、楽を知って、楽に戻りたい発言じゃあ、ないんだよ。僕の感覚は、彼らのほうで、久しぶりにその想いを、若い人から聞いた気がする。
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最近は、子どもをどうやって伸ばそうってことばかり考えてる
私に似たら、絶対に本の虫になるだろうから
有り余るほどの蔵書を与え続けたい。
筆記するためのものを与えて、ペンと白いノートさえあれば暇を潰せるような教養があるとよい。それは幸せと呼べると思う。