年末クリスマスイヴに考えてたこと。

忌野清志郎が死に、マイケルジャクソンが死んだ。世界は新型インフルエンザに脅かされ、日本では追い撃つように就職難。誰かが呟いた。「ノストラダムスは予言を10年間違えたんじゃないの?」
言われて思い出した1999年7の月。あの頃も世界規模での不安やざわめきがあった。過ぎてしまえば笑い話となっていたが。
ゼロ年代が、もうすぐで終わる。10年に一度のこと、たまには回顧主義も悪くないだろう。

世界各地できらびやかに迎えたミレニアム。時差のある国々の様々なセレモニーをテレビで見た記憶がある。シドニーオリンピックがあったのもこの年だ。
そして21世紀の幕開け。戦争の世紀を反省し、平和な世界を目指そうと心を新たにしていたのに。2001年9月11日、アメリカの同時多発テロは起きた。ベルリンの壁が崩れた時代を知らない年代にとっては、最も印象的な世界の変動だったことだろう。
私たちがさしたる感想もなく過ごす日々に対して、これだけの行動を起こさせる想いを持つ人々がいて、そうして世界が動く。今の大学生の多くは、それらを多感な思春期に目の当たりにしたこととなる。そんな私たちが時代を担う時、なにを目指すのだろう。
この10年。ユーロができたり、住基ネットができたり、ゆとり教育が始まったりした。日本人が2人同時にノーベル賞を受賞したアテネオリンピックで金メダルを16個獲得する快挙があった。暗い、辛い出来事も同様にたくさんあった。
あの時を確かに生きていたのに、意外に忘れていることに気付く。遠くない未来に社会へ出ることを思うと、ちゃんと社会に爪を立てて掴んでいたいと思う。忘れたくない。未来にまっすぐ歩むために、過去になってゆく今を踏み締めてゆきたい、と思う。
そんな思いの始まりとして、新年の抱負を考える年の瀬である。


君が
「春休みまで会えないかと思った」なんて言うから

実際にそうしてやろうなんて意地悪をはたらく。


他にも原因はあるけど、これは自業自得の腹立たしさだし。